それからというもの、俺は一日じゅう並盛町内を走り回り、
時にはショーウィンドウの中でマネキンと共に町を見渡し、時には動物園のゴリラの飼育委員になりきりながらも、
どうにか女どもを撒いた頃にはすっかりと日が暮れてしまっていた。
(ちくしょう…、予定よりずっと時間が掛かっちまった。
じゅうだいめはもうご自宅に戻られた頃だろうか…)
もういらっしゃらないだろうとは思ったが、俺は一度並盛中へと足を向けて歩き出した。
正面玄関はすでに閉められてしまっていたので裏口から校舎内へ侵入する。
ひと気の無い校舎は薄暗く影を落として、しんと静まり返っていた。
少し離れたグラウンドからは、熱心に部活に励む運動部の声が時おり耳に聞こえてくる。
教室に到着するとやはり誰の気配も感じなかった。
おもむろに自分の机を見ると、おそらく中身はチョコレートであろう包みが、
引き出しの中にいくつも詰め込まれていて、中に入りきらなかったものが
椅子の上や机の上にまでちいさな山を作っていた。
それを見て俺は大仰に嘆息する。
(女ってのは、なんでこんなに無駄にエネルギーがあるんだ……)
一日じゅう追いかけられて、つくづく実感した。
実の姉の話、だけじゃあ無い。
……おそらく女とは、精神肉体的に未知なるエネルギーを抱えていて、
それがこういった機会に時たま爆発すると、とんでもなく恐ろしい事態に陥る。
そしてその被害に遭うのは、ほとんどの機会が自分達男、なのだと思う。
俺は仕方なく、その色とりどりの包みで飾りられた己の机に近づくと、
それらをすべて、自分の机から離れたところに、ひとまとめの山にした。
「よしっ、ここに置いときゃ見回りに来た風紀委員がそのうち処分(と言う名の没収を)してくれんだろ」
本当は自分で処分してしまっても構わないのだが、
じゅうだいめはそういうことを好まない(女こどもにとてもお優しくていらっしゃるから)だろうし、
だからと言って持って帰った日にゃ、一ヶ月後のホワイトデーで何を要求されるか分かったもんじゃない……。
こうすることが、たぶんいちばんベストなんだ。
(…それにしても、日本はいろいろとめんどくせーよな…)
バレンタインにしてもホワイトデーにしても、菓子業界の思惑に嵌められ過ぎだ。
チッと舌打ちすると俺はそのまま教室を出て、靴箱へと向かった。
おそらく机の引き出しとおなじ惨事が、そこでも起きているだろうと思ったからだ。
そしてまた同じように、山盛りの包みを移動させると、
手持ちのタバコに火をつけて、鼻歌交じりに並盛中を後にした。
そろそろ時刻は夜の7時になろうとしていた。
並中に寄った後、まっすぐに沢田家に向かった俺は、インターホンに出てくださったお母様の一言に
「あぁ、またやっちまった…」と、ひどく狼狽した後、あいさつも程々に自宅に向けて全速力で走りだした。
『あら、獄寺くん?ツナなら獄寺くんのお家に行くって、ずいぶん前に家を出たんだけれど…。
おかしいわねぇ……?』
―――ずいぶん前って、いつだ…。
この寒空の下、じゅうだいめは俺を待っててくださっているのか……?
なんで俺はいつも、こんなに気が利かねぇんだ…!
口から出た息が、白く後ろに棚引いて、冷たい空気にまざって消えた。
ひと気の少ない路地に、自分の足音だけが早鐘を打つように響いている。
俺はマンションに着くや否や、素早く方向転換し、非常階段を全速力で駆けのぼった。
上の階で止まっているエレベータを待つよりも、こっちのほうが断然早い。
そして5階のエントランスに着くと一度足を止め、深く深呼吸をして息を整える。
じゅうだいめにお会いするのに、こんなに慌て取り乱した自分ではあんまりかと思ったからだ。
俺は脈打つ心臓に手を当てると、ひとつ大きく息を吐き出してから、静かに足を踏み出した。
(冷静に…、落ち着け俺…)
しかし、己の部屋の前でちいさくうずくまる人影を見留めた途端、
頭より先に、体が勝手に動いていた。
「―――じゅうだいめっ…!!」
叫ぶように名を呼び駆けよると、そのひとがゆっくりした動作で顔を持ちあげた。
「……あっ、ごくでらくん。…おかえりなさい」
そう言って、ゆるく笑ってくれる。
―――あぁ、どうしてこのひとはいつもこうなんだ…。
たくさん待たせて、怒ったっておかしくないのに、決して責めずに受け入れてくれる。
俺を信じて、待っていてくれる。
その優しさで包み込んでくれる。
俺のいちばん大切な人……。
「遅くなっちまってすみません…!
すぐに部屋を温めますから、どうぞ上がってください」
俺はガチャガチャと音を立てて鍵を開けると、小さく体育座りのまま俺を見上げた主を
ひょいっと横抱きにして抱え上げた。
「――えぇっ!? ちょっと、ごくでらくんっ!?」
「すこし我慢してくださいね。
寒かったから、体が固まっちまってるでしょう…?」
そしてドカドカと家に上がり込むと、彼の人をやわらかなソファーへとしずかに下ろし、
温かな毛布で体を包み込んだ。
「すぐにあったかくなりますから、ちょっと待っててくださいね」
ニカっと笑顔を向けてその場を離れると、部屋の空調をMAXまで上げ、
ヒーターの暖房器具をじゅうだいめの近くに置いて電源を入れた。
プラス加湿器も忘れずに用意する。
そして最後の決め手はいつものおきまり、じゅうだいめお気に入りのお手製ラテ。
すこし急ぎぎみに作り上げると、自分のブラックコーヒーもトレイに載せて
じゅうだいめのいらっしゃるリビングへと足を向けた。
「お待たせしました。…すこしはあったまりましたか…?」
己より幾分ちいさな御手に、出来たての温かなカップを渡す。
「…うん、ありがとう。
獄寺くん、手際良すぎるんだもん。
なんかちょっと笑っちゃったよ」
ふふふ、とやわらかく花が開いたような笑顔を向けてくれた。
頬にもだいぶ血の色が戻ってきているようだった。
ホッとひとつ嘆息して、俺は胸をなで下ろす。
「すみません、本当はもっと早くケリをつけるつもりだったんですが、
思いの外、手間取っちまいまして…」
じゅうだいめのお顔がよく見えるようにと、
俺はソファ下のラグに腰を下ろした。
(……あぁ、お鼻がすこし赤くなっちまってる…。
それに指先も…)
やわらかな毛布の端をつかんで、胸元を合わせ隠すように掛け直す。
「…ふふ、獄寺くんはホント過保護だなぁ。
俺、ちいさい子供じゃないんだから、そんなに世話焼く必要無いのに……。
…それにさ、俺分かってたよ?」
「………え?」
「あんだけの数の女子に追いかけられて、早々無事に帰ってこれるはずが無いんだよ。
遅くなるだろうなって、分かってた。
きっとすごく時間が掛かるだろうって思ってた」
そう言って、じゅうだいめは伏せるようにしていた視線を俺へと向けた。
「……でも、すこしでも早く、俺、君に会いたかったんだ…。
…そしたら、足が勝手に、ここに向かってた。
君の部屋の前で君を待つのは、俺、ちっとも苦じゃなかったよ。
……だって、君が帰って来るって、分かってるんだもん……。
ぜんぜん寂しくなんかないでしょう…?」
時折金色に見える瞳が俺を見詰めて、優しく潤んだような笑みの形を作った。
「………それは、どういう、意味ですか…?」
あたたかな光に捕らえられたまま、俺はやっとのことで声を絞り出すと、
すこしだけふたりの距離を詰めた。
――期待と、不安が混ざりあって、体の中を勢いよく駆け巡っていた。
「……どうって。……そのまんまの意味だよ。
…俺は君に会いたかった。君のことが心配だった」
じゅうだいめは俺の手を取って、優しく撫でながら力を込めた。
「……ずっと、待たせちゃってごめんね。
俺、君のことが好きだよ……」
そう言って、じゅうだいめは恥ずかしそう頬を染めて顔を伏せた。
天地がひっくり返ったかと思った。
……人間あんまりあせると、なんにもしなくても目が回るもんなんだなぁ………。
――なんて、俺はこんな時に、ボーっとそんなことが考えていた。
「…………獄寺くん…?」
頬を赤らめたままのじゅうだいめに名を呼ばれて、
やっとのことで現実に舞い戻る。
「…あ、すみません……。
まさかじゅうだいめのお口から、そんなことが聞けるとは思ってなかったので………。
少し昇天してたみたいです…」
自分のカッコ悪さと恥ずかしさに、俺は口元を手で覆って視線を反らせた。
そんな一部始終を大きな瞳でご覧になっていたじゅうだいめは、ぱちりぱちりと数回瞬きをすると、
途端に表情を崩して笑いだした。
「―――あははははっ!
あははは、…ごめん、笑っちゃって……。
君ってほんと、かわいい、よねぇ。
俺は返事を返しただけなんだけど…、まさかそんなに動揺されるなんて思わなかったよ。
―――うん、でもそういうとこ。すごく獄寺くんらしくて、俺好きだなぁ…」
目尻に涙をためたまま、ケタケタと笑っている。
(……かわいい、と言われてしまった。
俺。可愛いのか……?
いや、かわいいのはどう考えてもあなたですよね、じゅうだいめっ…!)
そんな男らしくも可愛らしい主に俺は悪態をつくと、
おもむろに腰を上げてその場を立った。
そして恐れ多くもじゅうだいめのお隣に座らせて頂く。
「―――じゅうだいめこそ、そんな可愛いことばっか言ってたら、
そのうち俺に食われちゃいますからね……!?」
そう言って、俺は自分の手を拘束している、その白い御手を引きよせて、
『カプリ』、とやわらかく噛みついた。
「!? ちょ…、ちょっと!ごくでらくんっ!!」
「………じゅうだいめ…。
俺、いままでずっと我慢してきた分、あなたにこうして触れているだけで、簡単にタガが外れそうなんです……。
もし、身の危険を感じたら……、殴っていいですから、どうか全力で逃げてくださいね……」
きれいな琥珀色を見下ろしながら、かすれた言葉を吐き出した。
(……あぁ、顔が近い。…ほら、もう簡単に唇が触れそうだ……)
その赤く熟れた唇に、己のものを重ねたい衝動をどうにか押さえ込んで、
俺は白くきれいなうなじに額をくっつける。
「ひゃあっ…!」
「…すみません、じゅうだいめ……。
いまはこれで我慢しますから、どうかもう少しこのままで……」
そして、おもいきり息を吸い込んだ。
………いいにおい。
じゅうだいめの、香り……。
……花のにおい?
………それとも、石鹸の香り?
……あぁ、もう時間も遅いし、風呂に入ってからいらしたのかな……。
風呂…?
あぁ、やばい………。
酒に酔ったような感覚で、頭に靄が差す。
いとしい人の首もとに顔をうずめて、どうにもこうにも我慢が出来なくなってきた俺は、
勢いのままに、その白いうなじに吸い付いた。
「…ひっ…!」
かぼそい悲鳴が、彼の人の口からこぼれおちる。
それに構わず、俺はゆるくなった手のひらから自分の手を引き抜くと、
ちいさな背中に腕をまわした。
そして優しく、優しく、きゅっとちからを込めて抱きよせる。
「………すみません。……痕、付いちまいました」
「………ん、……うん」
このまま強引に進めてしまいたい衝動をおさえつつ、ゆっくりと顔を上げると、
耳元にちいさな囁きが返ってきて、俺はあまりの愛しさに、胸が焼かれそうになった。
その上、ゆるゆるとほそい腕が、俺の背中をやさしく撫でてゆく。
(………あぁ、また受け入れてくださったんだ………)
このひとは、俺のわがままを、みんなすべて吸い上げて、
それ以上のいとしさに変えて、俺に返してくださる。
(………俺の、大切なじゅうだいめ……)
そのままじゅうだいめは、俺の気が済むまで、やさしく体を抱きしめてくださった。
つづく